一三八一年、ロ今ハート・ノールズ卿の奥方はロンドン市当局の許可なく、通りをはさんで自邸から自家用替薮園に達する橋をかけ渡した。ただちに罰せられたのは言うまでもないが、これを記念して現在もロンドン市長は、毎年ギルドホールで蓄蔽を一輪プレゼントしてもらうことになっている。ブルガリアは一九二一年、一アイルランド人に敬意を表して記念切手を発行した。『タイムズ』紙の従軍記者だったジェームズ・デーヴィン・バゥチャーという人で、バルカン戦争中の好意的な報道にむくいたかったためである。チリは一九七○年、アイルランド出身のスペイン人行政官アンブロシオ・オヒギンズ〔スペイン語よみオイギンス〕(一七二○?’一八○一年)に敬意を表して記念切手を発行した。チリの植民地長官、のちにはペルーの副王となった人である。その息子のベルナルド・オヒギンズ(一七七八’一八四二年)は、革命家としてチリを解放し、初代最高指導者まで務めたが、記念切手はいまだに発行されていない。ロ西インド諸島のグレナダ国は一九七○年、アイルランドの女海賊アン・ポニーに敬意を表して記念切手を発行した。英仏海峡に浮かぶガーンジー島も、アイルランド出身のジョン・ドイル卿に敬意を表して記念切手を発行した。ナポレオンから島を守るにさいし、卿のはたしてくれた功績にむくいるためだった。トマス・メイン・リード(一八一八’八三年)は偉大なルポライターで、わがカール・マイにもたいへんな刺激を与えた人である。もともとアイルランド長老派教会の説教師となるべきところ、いやでニューオーリンズへ逃げ出し、アメリカ陸軍の大尉として一八四七年、対メキシコ戦争に従軍したのだった。その後は全米をくまなく旅してまわり、自分の体験にもとづいて九十冊以上の本を書いた。それらは今日「青少年むけの冒険物語」と大ざっぱに片づけられているが、決してそれだけですむものではない。アイルランド作家ゥイリァム・カールトン(一七九四’一八六九年)は貧しい農家の生れで、十四人きょうだいの末っ子だった。カトリックの親はこの子を司祭にしようとし、本人もそれがいいと自覚していた。一八一八年ダブリンに出てからも窮乏生活を送っていたところ、プロテスタントのジェーン・アンダーソンという女性に惚れこんでしまった。たまたまそのころ、カトリック教会が農民にたきつけている迷信をネタに物語でも書いてみないか、という話が持ちこまれ、彼は飛びついた。そしてジェーンと結婚し、司祭にはならず、プロテスタントに鞍がえして、そのまま裕福な生涯を終えたのである。ベルギー西部のフランドル地方には、フラマン語(オランダ語の方言)を話す住民と、ワロン語(フランス語の方言)を話す住民が併存している。フランク・ラトゥールはフラマン語を話すパイ焼き職人だったが、フランドル農民の解放闘争をメインテーマにした小説が書きたくなったため、ペンネームもフラマン語らしくステイン・ストレーヴェルスとした。